きのみきのまま

食べたのものや考えたことなどのきろく

たしかに と なるほど

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ピンクのラナンキュラス

今週のわたしを癒してくれた、ありがとう

 

地元の、みたことないタピオカ屋とか、みたことないからあげやとか、胡散臭いテナントばかりが入れ替わり立ち替わり入っていたところが、1人のおじさまがやっているとてもセンスのいい花屋になって、うれしい。お気に入りだ。

 

最近なるほど と たしかに をあまり言わないようにしている。

自分がこの言葉発するたびにちょっとだけ嫌な気持ちになることに気づいた。

 

この言葉は、大抵、相手が話したことに対して反応する時の一言目。

 

間を置くのが気まずかったり、考えずに適当に話したりしてるときにわたしは結構いってしまう。

 

なるほど、は、理解しましたよーというニュアンスだし、たしかに、は、同意です、の意味と捉えると、これらを吟味せずに使うことは、相手の言っていることを軽んじて理解したふりをしたり、本当は納得してないのに同意して自分を少し殺したりすることなのだと思う。

 

この言葉がでそうになったら一呼吸おく

 

ほんとにわかったのか?ほんとに同意できるのか?

 

と考えてから、話す

 

前より少し、自分を生きられている感覚を持てている。

 

 

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気づいたら春

 

毎年梅の花をみてから桜を見るから、あれ、おもったより白いな。ってなる

そして、見頃はあまりに一瞬でおわる

 

さいきんはわたしは人生を虚しく感じているんだなということを考えている

 

虚しいというとすごく暗い感じもするがネガティブな気持ちではなく、なるほどそういうことか、がってんがってんくらいの気持ち

 

そう、虚しい

 

虚しいという言葉の意味はよくわからないのに、この感覚、気持ちは、虚しいという言葉がぴたりとあうのがわかるのが、母国語のすごいところだ

 

辞書には、なにもない、からっぽ、みたいなことが書いてあった

 

あまり心が動かない

たとえばなにかを買ったり、本を読んだり、テレビを見たり、映画を見たり

心が動かなくて、わたしが望んでるものではないんだなあとおもう

休んでいる時も娯楽を享受しているときも、味わっているんじゃなくてストレス発散で衝動的にやっている感じがする

人生を消費している

 

ごはんを食べてちょっとビールを飲んで考え事をしたり、散歩して晴れている空を見たり、景色をぼーっと眺めたりする

なんかそのくらいしか必要ないんじゃないかと思って、いる。

 

感性をとりもどそう

 

いまのこの情報社会とか効率を求められる社会人でいる時間を乗り切るために

かなり感性を鈍らせて生きている可能性がある

 

ということで、モーニングノートをかいてみたり、古典を読んでみたりしはじめた

 

内省の効能と、先人たちの知恵を生かす作戦

 

セネカの人生の短さについてを読んでいる

 

時代も文化も立場も性別も歳も違うのに、同じテーマにぶつかって考えているって、すごい

取り急ぎわたしは人類普遍の悩みに悩んでる、とてつもない凡人なんだなということはわかった

 

 

 

 

 

 

 

消費しない

 

この間食べた、フルーツサンド

散歩していて不意にみつけて、やっちゃう!?曇りだし!?(意味わからない)ってなって買って食べたのがよかった

フルーツサンドはフルーツより好き

良い感じに贅沢気分を味わえる

 

 

さいきんは割と予定のない週末を過ごしているのだけど

なんか休みになると頭の中で、あれが買いたい、これが買いたいという思考になることに気づいた

 

あまりそれが心地よくないなーというか、焦燥感?ぽいなと感じていたのだが

なにかを消費することが、ジャンクなストレス発散になっているのだなと気づいた

 

 

手っ取り早いけど、あとでちょっと後悔するし、結果あまり満たされない

 

 

前読んだ本を読み返すとか、音楽を聴くとか

既に持っているものでなにかをつくるとか

お金をかけなくても充実感を感じるものが、ほんとうに癒しになるものだと思う

 

 

そうやって改めて考えると、ほとんど買うべきものってないんだなと気づく

気づいたら、少しゆったりした気持ちで過ごせるようになった これは収穫

 

 

この春は前に買ってずっと使ってなかったレコードプレーヤーとレコードを実家からもってきて、昔好きだった本を読みながら聴いてみようとおもっている、楽しみ🌱

 

なつかしい

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ひとりでなつかしのセブンティーンアイスをたべた

 

こないだは近所の小学校が卒業式だったみたいで、おめかしした小学生たちが学校に向かっていくのを見かけてたんだけど

 

5,6人くらいの男の子たちが、ぶかぶかの中学校の制服をきてだらだら向かっていくのをみて

 

それいつもやってたかもしらないけどなあ

最後なんだぞお

 

学校の行き帰りのエピソードって、大人になってもずっと話して笑えるくらい

 

良い思い出になんだぞお

 

と思って、勝手につーんと泣きそうになった

 

なつかしさってなんでこんなにいい心持ちなんでしょうねえ

たわいもないはなしの価値

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近所の遊歩道に咲いてた梅。

 

みんな嬉しそうに写真をとってて、なんかちょっと元気でた。

 

期末の会社はいつも以上にバタバタしててピリピリしている人も多くて

 

最近はなんだかいつも疲れている。

だからなのか味の濃いものとかジャンクなものばかり食べてしまっている。優しい食べ物を味わえるゆとりがほしいところだなあ。

 

週末につくった菜の花のからしあえはすごく美味しかった。

あと、最近イイ雰囲気の居酒屋で食べた青唐辛子のだし巻き卵が気に入った。

青唐辛子ってあまり馴染みのない食材だったけど、爽やかな辛味がとてもイイ。

 

誰かの態度とか言葉に傷つくことがやっぱり多くて、その度に、傷つくのやめたい、スルーできるようになりたいと思ってきたんだれども

 

それは感性をマヒさせることだなあとも思っている

 

きっと都合の良い部分だけマヒさせることはできなくて、生きている全方位に向けて、鈍感にしていくことだと思う

 

よく傷つくという部分だけで自分は弱い存在、損な存在みたいに思っている時間が長かったけど

 

だから割と、物理的な幸せのハードルも低いような気がする。

 

結構、美味しいもの食べたりとか、人と、あ、心が触れたなあっていう会話ができたときとか、それだねで嬉しさで胸がいっぱいになることもある。それは大切にしたい。

 

だから、社会を生き抜くにあたり、自分をマヒさせるのとは違う生き方をしたいな〜、やっぱり。

 

ネガティブな感じ方をしたときに割と飲み込まれるから、そこを上手に切り替えられると良いんだろうな。

 

この前もずーーーんとなっていたのに、ふとちょっとたわいもない話をしただけで、嘘みたいに気持ちが晴れてびっくりした。

 

きっとわたしがもっと幸せに生きるのに、大きく生き方を変える必要はいまのところない。

 

切り替え上手目指そ。目指してみよ。

 

おわりがほしい

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この週末は茹でたてのそら豆と瓶ビールをやって、春をはじめることに成功しました。

 

季節のものを見たり食べたりすることって、なんだかすごい幸せを感じる。

 

のっぺりとずっと続いていくように見える毎日の中で、終わりがあるもの、今しかないものに触れると、生きている感じがするのかもしれない。

 

最近は仕事が燻っていて、ちょっと鬱々としてる。こういうときは、ちゃんとせいかつするのが大事。

 

どんなときでも、今この瞬間ホッとしたり嬉しくなったりすることが可能なのだというのを、積み重ねるのが大事。

 

頑張れてないとか甘えてるとか

自分のことジャッジしないようにしようとおもう。

 

ほっといてもいろんなものからジャッジされるんだから、自分くらいは母のように見守ってあげてたい。

 

今までなんとなくやり過ごしてきたけれど、わたしにとっては無理があるんだろうな、いまの働き方。

 

仕事以外のせいかつでバランスをとりながら、本読んだりぼーっとしたりしながら、これからについて考える時間をもとう。

ときめくもの

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この前食べた炭火焼きハンバーグ

 

お肉の処理が丁寧で、つけあわせの野菜も安心する味でくたっとなるまで煮てあって、いいもの食べてるって感じがしたなあ

 

先週末はあるイベントに参加して、大勢いる場所でとてもにぎやかに過ごした

 

だからなのか、今週はなんだか熱に浮かされたようなふわふわした心持ち

かとおもえば現実に直面していきなり不安になったりプレッシャーで死にそうになったり、ちょっと不安定

 

とてもときめく人に出会って、自分でも驚いている

恋愛感情じゃないんだけど、恋みたいな

 

人やモノにそんな気持ちになることがほとんどないので、めずらしい

 

と思って、考えていたのだけど

 

なんだろう、純度の高さ?みたいなものにきゅんとするみたい

 

自分が好きなものにまっすぐで、シンプルに生きてて

それはすごくかっこいいことなのに、自分ではあんまりそう思ってなさそう、こういう風にしかできないからな〜、くらいに思っていそうな人

 

その人がどんな人かって、はっきりした言葉とか行動でわかるというよりは

 

物の触り方とか微妙な仕草 やらないこと ことばえらび 声音 とかそういうもので

 

ぼやーっと輪郭がつくられてわかる感じがする

そこに どうみられたいとか プライドみたいな自意識がない 純粋なきもちを発見すると

 

なんかときめいて泣きたいようなきもちになる

 

わたしは自信がなくて周りに流されて

そんな風に生きてこられなかったから

 

そしてそういうひとになりたいな〜、って思っている時点でそうはなれないから

 

そういう人をみると、尊い

そのままでいてーって、思う

 

そしてわたしがこういうところにこんな気持ちになるのは

 

人に認めてほしい自分が自分がっていうきもちが強くて、それを恥ずかしいと思って頑張って抑えてるからなんだな〜

 

とも気づいた

 

他人の言動の裏にある動機にそういうものを少しでも発見すると、すごい厳しい気持ちにもなる

かなり天邪鬼な性格だなあと思っていたけど、自分に許せてないからか〜

 

子供の頃からの満たされないきもちなので、抑えるんじゃなくて、ゆるゆると浄化させていってあげよう

 

わたしはわたしがときめくような人にはなれないけど、そういう人に、好きですと言えるようにはなりたい